氷上の軌跡 -#27 佐藤尚輝-

皆さん、こんにちは。# 27主将の佐藤尚輝です。

引退する4年生が書く「氷上の軌跡」もとうとう、私で最後となります。
同期みんなの「氷上の軌跡」を読み、「学生のアイスホッケーが終わったんだな」と、少しずつ引退の実感が出てきました。
私がトリを務めることになりましたが、気負うことなく、自分の思いを素直に皆様にお伝えしたいと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

では、本題に入ります。
昨年の12/27をもって、私が6歳から続けてきたアイスホッケーに区切りがつきました。目指していた結果で終わることができず、悔しい気持ちと、応援していただいた皆様や、保護者の方々に申し訳ない気持ちで一杯です。同期のブログを読み、みんなと最高の形で終わりたかったと今でも思います。
ですが、これまで続けてきたアイスホッケーを長い目で見ると、とても充実した、とても幸せな時間がたくさんあります。
そんな私の約16年間に及ぶアイスホッケー録を、皆さんと一緒に振り返りたいと思います。

私は6歳からアイスホッケーを始めました。家族の影響で始める人が多い印象ですが、自らアイスホッケーを選んだことを今でも覚えています。
理由は「速かったから」です。少し変わった理由だと思いますが、それには訳があります。私の4歳上の兄は、サッカーをしており、その試合をよく見に行ってたのですが、当時のサッカーの印象は、「とにかく遅い」でした。コートが広いため、遠くで何をやってよくわからず、シュートもあまり打たない、6歳の私にとって退屈なスポーツでした。(現在は、とても好きなスポーツです。)

そんな中、サッカー場の隣で偶然、アイスホッケー体験をすることができました。その時に、4歳年上の男の子がスティックを掴んで、引っ張って滑ってくれたことが、今でも忘れられないほど「速くて」感動したのです。こんな訳で、アイスホッケーを始めました。ここから約16年にも及ぶアイスホッケー人生のスタートです。
6歳の尚輝くんに一言。「こんなに楽しいアイスホッケーを見つけてくれてありがとう。」

小学生になってからもホッケーを楽しくやっていました。冬休みは校庭にリンクができるので、お昼ご飯を持ってソリで防具を引っ張りながら学校に行き、朝から晩までずっとチームメイトとホッケーをして遊んでいました。
また、父が家の横に自作のゴールなどでシュート練習ができる環境を整えてくれて、冬には氷を張ってよく練習してました。とにかくアイスホッケーに夢中な小学生だったと思います。強いチームではなかったけれど、とにかく楽しんでやっていた記憶があります。

中学校からは、高橋先生にご指導いただきました。陸トレはハードでしたが、楽しく、そのお陰で基礎体力が身につき、ホッケーの上達も感じた時期でした。小学生の頃とは違ったホッケーの面白さに気づき、更に熱中していきました。
なぜなら、高橋先生や「Freedom HOCKEY」(帯広のホッケースクール)の宮田さんから、プレーの考え方や、練習の工夫の仕方をたくさん学んだからです。また、人間性でも大変勉強させていただきました。3年間、全道大会では1勝もできず、悔しい試合の方が多かったけど、とても充実した時間を過ごせたと思います。

ここまで、ホッケーはずっと好きで続けてきましたが、あまりいい結果を残せませんでした。そんな中、地元の強豪校「白樺学園高等学校」に憧れを抱き、入学を決めました。
高校では、内容が濃すぎる3年間を過ごしました。陸トレはきつく、上手な選手もたくさんいて競争が日常でした。でも、切磋琢磨し、苦楽を共にしたからこそ、最高の同期に巡り合うことができたのです。
3年目は主将を務めることになり、不安しかなかったです。なぜなら、その年のインターハイは帯広で開催されることが決まっていて、2009年帯広開催で初優勝、2018年帯広開催で5度目の優勝、、、白樺は帯広では負けられないんです!
全校応援の前で負けた主将になりたくない。そんなプレッシャーに追い込まれながら、1年間を過ごし、なんとかインターハイ決勝戦3-0で駒澤を倒し、日本一になることができました。今まで生きてて、一番嬉しかったです。嬉しさと安心感から、嬉し涙が止まりませんでした。

そして、天狗になって自信満々に中央大学に入学します。当然試合に出られるし、活躍できると入学前は思っていましたが、調子に乗りすぎていました。本当にバカな人間です。入学して初めての練習で、先輩方のレベルの高さが衝撃的で驚きました。連携やパスワークが特に印象に残っています。ついていくことに必死で、チャンスをものにできずに、1年目の優勝はベンチ外から見ることになります。
正直、悔しくて、1ミリも嬉しくなかったです。これが一番大きな挫折でした。
そこからは、とにかく、今まで以上に考えまくって練習して反省して、いろんな選手を観察して上手なプレーを盗みました。

そんな時ある言葉を思い出しました。恩師である白樺学園の湊谷先生が仰っていた言葉です。
「信頼を積み上げるのは時間がかかるが、崩すのは一瞬」(積み木をイメージ)
大学ではこの言葉を多く体験することになります。個人的に試合に出れなくチャンスをものにできなかった時や、チームが勝てない時に、特に感じました。
何事も積み上げるのは難しくて、失うのは一瞬です。今後の人生においても、失敗してもただひたすら、めげずに積み上げていくしかないのかなと思います。
2.3年目は試合には出場できるようになったものの、勝つ難しさを再認識しました。
大学では、満足のいく結果を残せず、4年目は優勝したいと強く思うようになりました。

そして、歴史のある中央大学で主将を務めさせていただくことになりました。私に何ができるかわからず、最初は断ろうと思っていましたが、やらないで後悔したくないと思い、引き受けることとなりました。
春は4位で終わり、情けない姿をお見せすることになりましたが、そこからトレーニングを積み、夏の大会では優勝できました。素直に嬉しかったです。久しぶりに勝つ喜びを味わうことができ、最後のインカレは優勝して終わりたいと思っていましたが、結果は準々決勝敗退。
望んでいた引退とは程遠いものとなってしまい、今でも思い出すと悔しいです。
ですが、インカレに向けて、みんなの勝ちたいと思う気持ちが目に見えて現れて嬉しかったです。最後まで何ができたかわからないけど、同期のみんなの支えもあり、主将を最後まで務めることができ光栄でした。

最後は悔しい形で終わることになってしまいましたが、これまで約16年間のアイスホッケー人生はとても充実してかけがえのない思い出となりました。振り返ってみると多くの人に支えられていたと思います。ありがとうございます。
辛いことも悔しいこともあったけど、アイスホッケーが楽しかったから、一度もやめたいと思うことはありませんでした。多くの人と出会い、支えられて、こんなに楽しいスポーツに出会えて幸せでした。

ここからは、普段はなかなか言えない感謝の言葉を伝えようと思います。

両親へ
6歳から今までホッケーを続けさせてくれてありがとう。防具やスティックでとても費用のかかるスポーツで負担をかけたと思います。また、送り迎えが必須で、練習で御影や釧路までも連れて行ってくれて、苦労をかけたと思います。本当に感謝しています。父さんは、ゴールを作ってくれたり、小学校のリンクを作ってくれたりしてとても嬉しかったです。母さんは、大学でもまめに連絡くれてたくさん心配をかけました。大学に来て、母親の偉大さに気づきました。ありがとうございます。これからもたくさん心配をかけるけどよろしくお願いします。

先輩たちへ
一緒に寮生活していてとても楽しかったです。仲良くしてくれてありがとうございました。特に2つ上の方々は、卒業後も連絡をくれたり交流があって楽しい時間を過ごせました。ありがとうございます。
またどこかで会えたら、是非ご飯ご馳走してください!

部屋の後輩たちへ(#66 時田、#97 モンタナ、#17 豪生)
君たちのことは特に心配していません。
3人とも満足のいくシーズンではなかったかもしれないけど、みんなコツコツ努力を続ける人だから大丈夫です。
個性的なメンツで、不思議な部屋でとても楽しく暮らせました。ありがとう。
上級生になる2人は、周りのことにも目を配れるといいかも!!!

同期のみんなへ
とにかく笑わせてもらい楽しい時間を過ごせました。君たちが同期でよかったです。これからはお互い別々の道に進むけど、困ったらいつでも俺に連絡してね。

以上で、佐藤尚輝の「氷上の軌跡」を終わりたいと思います。

長く拙い文章だったと思いますが、ここまでご覧いただきありがとうございました。
これまでに、アイスホッケーを通じて出会った方々に感謝いたします。

これからも中央大学の応援をよろしくお願いします。
#27 佐藤 尚輝

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門