氷上の軌跡 -#75 石川涼-

中央大学スケート部のブログをご覧の皆様こんにちは。背番号75番の石川涼です。

この氷上の軌跡は卒業する先輩方が書いていくもので、昨年まで他人事のように拝見していましたが、気づけば自分が書く番になっていました。本当にこの4年間はあっという間でした。

タイトル「軌跡」とあるように、今までのアイスホッケー人生について書かせていただきます。

僕がアイスホッケーを始めたのは小学2年生の冬、妹が友達からアイスホッケーに誘われたのがきっかけでした。始めたのはむかわ町という場所で、町内には屋外のリンクが一つありました。本格的な練習は冬季にその屋外リンクで行われ、練習は2時間半、朝と夜に2回行い、内容もかなりハードなものでした。雪が積もった外リンクでひたすらスケーティングをしたり、コーチの強烈なシュートを永遠に打ち込まれたりもしました。泣きながらシュートを受けていたのを今でも覚えています。辛すぎて練習に行きたくないと言った日もありました。
しかしそこで、スケーティングの土台と根性は鍛えられたと今では思えます。 
その後小学5年生で苫小牧に引っ越し、今までよりレベルが高い環境に飛び込みました。そこでは目標としていた大会や、選抜に選ばれることはなく、初めて悔しい経験をしました。

中学校ではいくつかの中学が合同のチームとなっていたため、毎年違うチームメイトと過ごしていました。僕がいた中学校は、1年生時は先輩と僕の2人で、その後2年間は僕1人でした。そのため、氷上練習以外は自主的にトレーニングする時間が多くなりました。この中学3年間で何かを自主的に行うという点で成長できたと思っています。
その甲斐あって、中学3年時には苫小牧選抜に選ばれ、そしてアイスホッケー強豪校である駒大苫小牧に進学することができました。

駒澤はとにかく練習がキツイことで有名でしたので、高校3年間キツかった思い出がたくさんあります。入学して最初の一週間の陸トレの内容は今でも覚えています笑。しかしむかわ時代に鍛えた根性で折れることなく3年間を過ごしました。
しかし、そのキツかった日々の中にも様々な経験を積むことができました。実践に結びつけ考えて練習することの大切さや、辛いときこその助け合う大切さ、キツかったからこその同期と共に乗り越えた時の達成感など、ただキツイだけではなく充実した3年間でもありました。またスタッフの方々にはアイスホッケー以外にも指導していただき、人間的に大きく成長できました。
試合には多く出させてもらい、アイスホッケーの面でも大きく成長できた3年間だったと思います。しかし3年目はインターハイ決勝で負けてしまい、とても悔しい思いもしました。その時、必ずしも努力や苦労は報われないという厳しい現実があることも経験できました。

そして大学進学です。
ホッケースタイルや、選手も主体となるという点に魅力を感じ、中央大学に進学しました。入学早々にコロナ禍により満足にアイスホッケーができない日々が続きました。1年目は、秋リーグが唯一の大会になり、全勝優勝を達成しましたが、僕はサブキーパーだったため少し悔しさが残る年となりました。
2,3年目はコロナが少しづつ落ち着いてきたため大会も例年通り行われ、試合にも多く出させていただきました。インカレや全日本など、大学ならではの試合の雰囲気を楽しむことができました。しかし、この2年間でチームを優勝に導くことはできず悔しい思いをすることが多かったです。
そしてあっという間に最終学年になり最後こそはと意気込んでいましたが、思うような試合をすることができずに試合に出る機会は減ってしまいました。そして最後の最後まで満足に試合に出ることはできずに終わってしまいました。しかしサブキーパーとして、常に試合に出るモチベーションの維持やベンチでの声出し、普段の練習への姿勢は一度も変えずに取り組めたと自負しています。結果はどうあれ、今までの経験を活かして最後まで折れることなく学生ホッケー生活を送ることができたと思います。

来年からは社会人アイスホッケーを続けるつもりなので、今まで以上にアイスホッケーを楽しみたいと思います。
また東京都代表で国体にも出るので、そこでもしっかり楽しみたいと思います。笑

最後にお世話になった方々への感謝と、後輩たちそして同期に一言書いて終わりにしたいと思います。

まずは中央大学のスタッフの皆様
4年間ご指導いただきありがとうございました。試合に多く出させていただきましたが、良い結果を出せず、期待に応えることが少なくなってしまいました。しかし一時期は正キーパーとして起用していただいたことは、大学アイスホッケーを経験することができたので、感謝申し上げます。

次に両親へ
日々の練習への送迎やアイスホッケーにかかる多額の費用を負担していただき感謝しかありません。送迎は中学〜高校は妹もアイスホッケーをしていたので仕事終わりに苫小牧市内を行ったり来たりと、僕が車を運転できるようになって改めてどれだけ大変なことか少しだけわかった気がします。ありがとうございました。
費用についても、キーパーの防具はかなり高価なものが多いのですが、惜しみなく良い防具を買ってくれたことも本当に感謝しかありません。
試合の結果も自分のことのように喜んだり悔しがったりしてくれることや、試合終わりは毎回連絡をくれて応援してくれたことは、励みになりました。
今まで支えてくれてありがとう!!
来年からは少しずつ恩返しをしていきたいと思います。

後輩へのメッセージは、ゴーリーズと部屋っ子達へ向けて書きます。

まずゴーリーズ
試合や練習では2人から刺激をもらうことが多く、そのおかげで練習が楽しくモチベーションにもなっていました。
キーパーは試合に出られるのは1人で、失点に一番近いポジションなので、かなり精神的負担が大きいです。いろんなことを経験して精神的に余裕を持たせることが重要になると思います。来年は新入生と3人で、切磋琢磨して頑張ってください。応援しています。

部屋っ子へ
この部屋は僕が入ってから代々平和部屋として続いており、今年も平和に過ごせたと思います。僕の誕生日には5時間かけてプレゼントとケーキを探しに行ってくれたことはびっくりしたけど嬉しかったです。部屋を大きく模様替えしたり急に大掃除が始まったりとたまに起こるイベントが楽しかったです。
内定祝いもしてくれてありがとう!
バットを振り回すキムと、ずっと寝ている天満と、チャリで新宿まで行ってしまう怜申。来年も仲良く平和に過ごしてください!

同期へ
なんだかんだでみんな本当にホッケーが好きで、情熱のある人たちだったと思います。一緒に練習していて楽しかったし、みんなと試合が出来てよかったです。また同期会して、いっぱい話しましょう!

まとまりのない長文になってしまいましたが、これを僕の氷上の軌跡とさせていただきます。
ご精読いただきありがとうございました。
#75 石川涼

中央大学スケート部アイスホッケー部門

中央大学スケート部 アイスホッケー部門